2007 Indonesia  インドネシア、ジャカルタ旅行記

<旅の準備>

ここ数年、特に行きたい魅力はないのですが、知人訪問ということで、ジャカルタです。当初、10月20日に出発しようとしたのですが、JALが10−3月の悟空料金を発表、発売した8月2日にはすでに、割引チケットの枠が無く、1週間遅らせました。

 08月02日 JALサイトにて航空券購入
 10月02日 PriorityClubサイトにてホテル予約

<航空券>

 10/27 JL725 11:25 成田       16:50 ジャカルタ   
 10/29 JL726 22:10 ジャカルタ    07:10 成田  

<ホテル>
 クラウンプラザホテル ジャカルタ 1泊62アメリカドル(サービス料10%、税11%別)
 Crowne Plaza Hotel JAKARTA

 JALのマイレージも多く貯まるということもあり、このホテルを選びました。価格は比較的安い方だったと思います。徒歩5分くらいのところにショッピングセンターがあり便利でした。部屋は広かったですが、少し古くて内装が悪いかなと思う点もありましたが、スタッフのサービスも気持ちよいものでした。



<初日:10月27日(土)>
 JALでの到着は現地の5時頃。夕方でした。今回はジャカルタ便では珍しく、日本人観光客の団体ツアーの人達に遭遇しました。。
 ホテルチェックイン後は、車で食事へ。途中、三輪タクシー、バジャイの新しいタイプ、四輪のパジャイを見つけました。食事は日本発の焼肉チェーン「ハナマサ」へ。この食事で腹痛を起こし翌日は大変なことになりました。



<2日目:10月28日(日)>
 今回は今まで行ったことがない、オランダ統治時代の建物が多く残るクタという地区へ行きました。


 クタにはいくつかの博物館があり、色々と楽しむくとができました。


 博物館の中では伝統的な影絵の人形劇が行われていました。上の写真は影絵を操る側です。操りながら、言葉や歌を交える人と、数々の楽器を奏でる人がいました。下の左は、影絵側です。どちらから見ても楽しめました。


 下の左はガイドブックにも乗っている「カフェ・バダビア」です。


 博物館です。この近辺にはいくつかありましたが、皆、入場料が安いので、立ち寄ることをお勧めします。


 昔のルピア札でしたが、なんと「大日本帝国」とローマ字で綴られていました。


 この文化地区は渋滞が激しく、抜け出すまでに苦労しました。その後、どこだかわからない山へ連れて行かれました。


 激しい渋滞を繰り返し、高山地域へ。途中、対向車線を白バイ先導で抜けていく車があり、何かと思えば、ユドヨノ大統領とすれ違ったとか。
 山の近辺の公園には物凄い数の車と人が。山や公園はキレイでしたが、足元は捨てられたゴミだらけで、それにはまいりました。
 富士山のような三角のきれいな山影がみえたのでパシャリ。


 園内を少し車で進み、散策をすると、滝に辿りつきました。疲れが吹っ飛ぶ、癒しのスポットでした。

<食事>
 今回もパダン料理を中心にミーアヤム、ナシゴレン、サテカンビンなど、屋台料理類を頻繁に食べました。どれも美味しくてすごく安かったです。
 左は食堂でのパダン料理。右はホテルで最終日の朝に頼んだルームサービス、ミーアヤムです。ミーアヤムは55,000ルピア。トマトジュースが35,000ルピアでした。


<帰国して>
 10月30日朝、無事に帰国。今回感じたことは、現地人と行動をともにしているせいか、今まではどこでもまったく日本人に会いませんでしたが、今回は空港の看板にも日本語表示が入っていたり、入国時、帰国時にも日本人を多く見たり、ホテルでも日本人を見たりと、今まで以上に日本人が入ってきているなと感じました。エネルギー関係の企業の進出も良く、報道で聞きましたが、まだまだ物価や人権費の安い国。今後も経済を中心とした交流が益々増えるのではという予感がしました。

<おまけ:動画>
クタ地区で見た、影絵劇の動画です。 コチラ

アップルの無償動画ソフト、QuickTimePlayerでご覧ください。ダウンロードはコチラ



<Thanks>


Crowne Plaza Hotel JAKARTA
Priority Club




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